石の反抗
長年石を彫っていますが、いまだに石の本性がわかりません。一つの制作が終わるころになってやっと、「ああ、こいつはこういう奴だったのだ」とうすうす感づきます。
同種の石でも目の方向、質量のバランス等で刻む調子を見事に外されます。いうことを聞いてくれないからといって作業を中断することはできません。無理やり強引に刻みますが、石はしばらく黙りこくりそのうち必ず反抗します。
一言も文句を言わないけれど大切な突起を飛ばします。
くびれた部分からポッキリ折れます。
さらに腹を立てた私の手をこっぴどく傷めます。
石を扱いはじめて三十余年、ノミの頭は寝たきり老人の爪のようにくるくる曲がり込み、それぞれのツチの柄は五代目以上になるでしょうか。サンダーという電動工具も15台ほどつぶしています。
よほど私が不器用なのかも知れませんが、正直言いましてほとほと手を焼いています。もう止めてしまおうと考えたことも度々です…。が他に何もできません。ここはもうしばらく続けるつもりでいます。
こんな未熟な私の愚作が自宅に申し訳なく展示されています。お地蔵さんのような風体で合わせて十数体並んでいますが、みんな石の中から生まれ出た者たちです。中には苦い顔、怒った顔、ひねくれた顔もありますので体調の良いときに一度行き会ってくだされば光栄です。
略歴
- 1954年1月
- 松川町大島出生、農家三男
- 15歳頃、ミケランジェロに感銘を受け造形に興味を持つ
- 1973年
- 長野県展絵画の部で初入選(19歳)、同時に石彫を始める
- 1974年
- 医学技術専門学校で人体造形の基本、筋骨系解剖学を学ぶ
- 1975年
- 東京池袋画廊にてグループ展(21歳)
- 1976年
- 都内の石彫家や石工に、石彫の基本を学ぶ
- 同年、長野県展絵画の部入選
- 同年、東京銀座さえぐさ画廊にてグループ展(22歳)
- 1977年
- 本格的に等身大石彫を始める
- 1978年
- 二科展初入選(24歳)
- 1980年
- 本年より10年間、中央展出品を休み病院勤務の傍ら飯田市で彫刻教室“伊那谷彫刻工房”を開設し石彫の他胸像制作・絵画・デッサン研究・炭彫に没頭する。
- 1990年
- 松川町新井商店街近代化事業で、テーマのある大理石彫刻群制作依頼を受け、勤めと“伊那谷彫刻工房”を辞し、彫刻家を生業とする道を選択。
- 同年、二科展入選(36歳)以降現在まで連続入選
- 1992年
- 大理石彫刻群像完成=<地球と契約した街>誕生
- 1997年
- イタリア研修
- 1999年
- 二科展特選受賞(45歳)
- 2002年
- ホワイトオブジェ展<岡谷市笠原書店>
- 2004年
- ホワイトオブジェ展<飯田市平安堂書店・横浜そごう・東京銀座三越>
- 2007年
- ホワイトオブジェ展<かんてんぱぱホール>
- 2008年
- 石彫展<瑠璃寺>
- 2009年
- 石彫展<松本浅間温泉、神宮寺>
- 2010年
- 石彫展<安養寺>
- 2011年
- 石彫展<光前寺>
- 2012年
- 「東日本、供養の旅」で2011年二科展入選作“羅漢かかし”を気仙沼に寄贈。
- 2014年
- 二科会 会友推挙(60歳)
公共施設等の主な展示作品 ※順不同敬称略
- 【内面への道】…豊丘村勤労者福祉センター(下伊那郡豊丘村)
- 【手紙】…松川町中央公民館(下伊那郡松川町)
- 【連作彫刻16体、水鏡】…新井商店街(下伊那郡松川町)
- 【ひまわり】…ひまわりの湯(下伊那郡阿智村)
- 【清流】…清流苑(下伊那郡松川町)
- 【日時計】…飯島町文化館(上伊那郡飯島町)
- 【風の記憶】…ふれあいの郷(飯田市)
- 【風の軌道】…龍ヶ崎医院(茨城県竜ケ崎市)
- 【星の民】…高森町資料館(下伊那郡高森町)
- 【ゼロ起源】、【展開】、【エピローグ】…むらやま公園(下伊那郡松川町)
- 【聖地蔵菩薩】…瑠璃寺(下伊那郡高森町)
- 【達磨大師】、【地蔵菩薩】…安養寺(下伊那郡高森町)
- 【とんぼ】…神宮寺(松本市)
- 【羅漢かかし】…地福寺(宮城県気仙沼市)
- 【丘に咲け】…高森中学校(下伊那郡高森町)
- 【旅だるま】…信濃比叡(下伊那郡阿智村)